非二元などのお話し会

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zoom RSS 非二元の基礎

<<   作成日時 : 2016/06/06 19:50   >>

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まず「非二元」の「二」とは、「主体」と「客体」です。つまり、起きているものごとには、起こしている者が独立して存在はしていない、ということです。ここから、「ものごとが勝手に起きている」「私はいない」というキャッチフレーズが導かれます。

ワンネスという言葉は、まさにそうですね。
だから「非二元」=「悟りの境地」という側面もあるのですが、厳密に言うと、「非二元」とは、もともとはインド哲学の一派に過ぎないのです。

8世紀にシャンカラというインド人が唱えた「アドヴァイタ・ヴェーターンタ」という哲学が、現代に西洋に紹介され、サンスクリット語のアドヴァイタ(非二元)が、英語の「ノンデュアリティ」という言葉になり、それが日本に入ってブームになったのです。

その間、20世紀のインドで、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジに代表される、ネオ・アドヴァイタ称されるムーブメントがありました。これは、現代の日本の非二元のティーチャーにも、大きく影響を与えています。

さて、非二元の考え方では、個々人が主体として現象を引き起こしている、との考えを否定します。ある人に起きた現象は、宇宙全体の現象の現われの一つであって、決して個人が自分の自由意志で起こしたのではない、という見方です。

つまり、“私が”◯◯した、とか、“私の”自由意志、といった時の、「私」という主体が実はない、ということです。一見、自分の意思と思えることも、さまざまな環境や経緯や他者との関係の中で発生したものであり、つきつめれば、「宇宙全体がその者にそういう意思を発生させた」ということになります。

こういう見方は、何がいいのかと言うと、簡単に「気が楽になる」のです。ものごとのコントロール欲求を放棄して、ただ結果を、全体の流れに任せるということです。また、ドジな自分も、宇宙全体の働きでドジをしたと考えれば、それほど深刻になりません。責任逃れという批判もありますが、これは、頭の中での話ですから、社会的責任を逃れるとか、道義的責任を逃れるとか、そういう意味ではありません。

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