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zoom RSS 第3章 非二元の日常的な活用

<<   作成日時 : 2016/08/03 18:13  

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非二元を完全に実現しないまでも、非二元的な考え方を、表面的に理解するだけでも、日常生活(二元の世界)において、とても楽ちんになるというお話です。

@自分の過剰な責任感を除去できる。

「私が◯◯したせいで、こうなってしまった」という思い込みから目覚める。つまり、ものごとは誰それがした言動に、いろんな要因や条件が揃って、初めて一定の結果が出るものであるから、「私が」何かをしたのは、そういった無数の要因や条件の一つに過ぎないのです。こう言うと「責任のがれ」と言われそうですが、たいていの場合「過剰な」責任感が個人を苦しめているのです。「起こる事が起こった現象の一部に自分の言動も含まれていた」と非二元的に考えれば、たくさんの自殺が防げると思うのです。

A人々やものごとを、平等に見る事ができる。

「私はいない」んだから、比較対照する「誰か」もいません。いると仮定しても、勝手に起こる出来事の流れの中で、ちょっとした存在でいるという意味では、誰もが平等です。誰かと自分を比較してる場合、たいていは、国語の85点と理科の70点を比較しているのです。比較についていえば、何か生じた出来事は、良いも悪いもなければ、どっちの方が好ましかった、などというのも、個々人の受け取り方であって、生じたものごと自体には、意味も価値もないのです。何が起ころうが、同じようなもんだ、と思えれば、かなり気が楽になります。

B自分も他人も赦せる。自分も他人も裁かない。

何か失敗をしでかした自分=行為者が幻想な訳だから、行為も中性的に起こったものとして、簡単に赦せるようになります。同様に、他人も自分と同じだから、赦せますよね。そもそも行為者がいない現象を、良い悪いなどと裁くこともできません。(犯罪などの例では、個人が存在し意思や動機が存在するという“取り決め”の中で、日常生活(二元)を生きている者としては、法的・道義的な責任は、否定されるものではありません)

C将来の不安が軽減される。

自分がいま何をしてようが、起こる事が起こるだけだと思えば、何が起こるのかを、あれこれ心配する事が少なくなります。ただし、何が起こっても受け入れます、その時の自分を明け渡します、という覚悟は必要です。何かをする「主体」(自分)がいないのだから、それに対応する結果(出来事)だって、勝手に起こるに決まってます。まあ、自分が少しは関与した、くらいの責任感はあっても良いかもしれません。ものごとを自分の描いた通りにコントロールしようとするから不安も生まれます。

Dものごとを積極的に行う事ができるようになる。

今まで述べたことを考えれば、「何かやってみよう」と思いついた時に、結果を心配して躊躇することが少なくなります。「自分がここでやらかしたことが、どういう結果を招いたとしても、それは全体が引き起こしたことなので、拒否しません」と宣言すると、何事も「軽やかに」実行できるようになります。そしてその行動の結果は、たいてい、望みどおりになります。

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